世田谷プロレスYouTubeチャンネルの記念すべき第1回配信は、メインゲストとなるMAX宮沢の紹介です。
キャプチャーやWARで、キングダムなど、様々な団体でキャリアを積んだMAX宮沢ですが、正直、「MAX宮沢って誰やねん?」となる人もいるかと思います。
そんな人たちのために、MAX宮沢はこんな人だということがわかる内容にしたつもりです。
MAX宮沢プロフィール
MAX宮沢のプロフィールはこんな感じです。
1971年生まれ。高校時代からアマレスに取り組み、山梨学院大学レスリング部を経て綜合警備保障(ALSOK)に入社。同社レスリング部にも所属する。90年代後半から北原光騎率いるキャプチャーに所属し、1998年にWARでプロレスデビュー。その後、UWFインターナショナルの後継団体・キングダムの最終興行にも出場。以後、キャプチャーの過激な地下室マッチ、総合各都議ではDEEPなどの大会にも数多く出場するなど、プロレス、格闘技界を縦横無尽に暴れまわる。2010年代からセミリタイヤ。現在は東京や地元沼津の格闘技道場での指導者活動のほか、光触媒コーティングを行う抗菌団体「ミライ抗菌」も運営。キックボクシング、総合格闘技大会のレフェリー、セキュリティスタッフとしても活動している。
アマレス、プロレス、UWFスタイル、総合格闘技など、様々なスタイルでの試合を経験し、プロレス業界で20年以上のキャリアを誇るベテランです。
MAX宮沢の総合格闘技戦績はこちらをご覧ください。
https://fightsspiral.wiki.fc2.com/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%20%E8%AA%A0
MAX宮沢が立ち上げた抗菌団体がこちら
■ミライ抗菌
https://mirai-koukin.com/
ミライ抗菌をローマ字にするとURLは「mirai-kokin.com」でもよさそうなものですが、あえて「koukin」としたのは「U」つまり、UWFの魂を忘れないためでもあるそうです(ホンマかいな)。
それはさておき、MAX宮沢も光触媒コーティング施行に必要な器具なども買い揃え、もはや後戻りできない状態なので、ご覧のプロレスファンの中で光触媒コーティングを考えている皆様方におかれましては、ぜひとも発注してあげてください(切実)。
その他、経歴についての詳細は動画をご覧ください。
MAX宮沢がプロレスデビューした1998年という時代
MAX宮沢宮沢がプロレスデビューしたのは1998年2月5日。WARの興行です。
当時の試合記録が残っていました。
○北原光騎 你好(11分51秒 ラリアット→片エビ固め)北尾光覇 ×岡村隆志
デビュー戦からいきなりセミファイナル、しかもタッグマッチとはいえ相手が北尾光司というなかなかのデビュー戦です(笑)。
その1ヶ月後にはUWFインターナショナルの後継団体、キングダムの最終興行に出場します(試合データはこちら)。
当時、所属選手が次々と退団し、興行の実施も危ぶまれていたキングダムを師匠の北原光騎とともに救う形となりました。この試合でできた縁から、MAX宮沢宮沢は安生洋二の引退興行にも出場することになります。
UWFインター直系団体に絡んだということで、この動画ではMAX宮沢を「UWF系最末端レスラー」と定義しました。U系団体に入門したわけではないですが、最後の最後にギリギリ絡んだということで、まあ間違いとも言えないのではないかと思います(笑)。